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第391話
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あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した 第1111話
博紀はオフィスから出たあと、今日はいい仕事をしたと思って、満足していた。なにしろ、さっき自分が瑛介をご機嫌にさせたのだ。博紀の頭の中ではずっと、あの出来事がぐるぐる回っていた。社長があのとき投げかけた質問、どこか妙だったのだ。最初は、弥生が話題をそらすために言っただけだと思っていた。だが、部屋を出て少し落ち着いてみると、やっぱりおかしい気がしてならなかった。注意を逸らしたいだけなら、ほかにいくらでも話題はある。なのに、なぜあのひと言を選んだのか？考えれば考えるほど胸騒ぎがして、博紀は落ち着かなかった。結局、署名をもらうという口実を作り、もう一度社長室へ戻ってみることにした。不安を押し隠しきれず、足取りはどんどん速くなる。数分も経たないうちに社長室の前へたどり着き、ノックをした。......返事がない。博紀は慌てず、しばらく静かに待ってみた。三十秒ほどしても中は静まり返ったままだ。もう一度ノックし、声をかけた。「社長」その直後、中から椅子の倒れる大きな音が響いた。外から聞いても、かなりの衝撃音だった。まさか口論でも始まったのでは？あの奇妙な空気を思い出すと、胸の鼓動が速くなった。「社長、大丈夫ですか？何かあったんですか！」焦ってドアを強く叩くが、中からは何の応答もない。「社長？」不安が限界に達し、博紀は思わずドアノブに手をかけた。カチャ。ノブは少し回っただけで、ぴたりと動かなくなった。え？施錠されてる？そのとき、中から低くかすれた声がした。「......何の用だ」聞き慣れた瑛介の声だった。だが、どこか普段と違った。博紀の頭は一瞬で真っ白になった。何かを悟った気がしたが、思考が追いつかない。口のほうが先に動いた。「すみません、社長。書類にサインをいただきたくて......」しばらくの沈黙のあと、「そこに置いておけ」と短く言い捨てるような声が返ってきた。博紀はドアの前で立ち尽くした。やっぱりおかしい。いったい何が......そして、ふとある考えがよぎった。彼が出た直後、ドアは内側から施錠された。つまり、誰にも入ってほしくなかったということ。さらに、さっきの椅子が倒れる音と低くかすれた声、まさか......博紀の
あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した 第1110話
弥生が小さく息を呑んだ。「......待てない」低く落とされたその一言に、空気が一瞬で張りつめた。次の瞬間、彼の手がうなじから離れた。そして瑛介はそのままくるりと背を向け、出口のほうへ歩き出した。え......行っちゃうの？拒まれたのがそんなに気に障ったのだろうか。まだ胸の奥に彼の指先の熱が残っているのに、その温もりがふっと途切れ、代わりに広がったのは、ひどい空虚だった。だが、次の瞬間、彼はドアの前で立ち止まり、手を伸ばした。金属が噛み合う、乾いた音。ドアをロックした？出ていくんじゃないの？その証拠に、瑛介はドアを背にゆっくりと振り向いた。その瞳は、深く暗く、獲物を捕らえる狼のようだった。冷たいはずの黒が、熱を孕んでいる。弥生は無意識のうちに、デスクの向こう側へと身を引いた。その仕草に、瑛介の足が一度止まった。口元に浮かんだのは、困ったようでいて、どこか楽しげな笑みだった。「なんで逃げてるんだ？もう誰も入ってこない。ドアはちゃんと鍵をかけた」だから怖いのよ！彼が鍵をかけたことで、彼女の緊張はむしろ高まっていた。開いていればまだ、誰かが来るかもしれないという恐れがあった。今はその可能性すらない。彼の瞳は暗く燃え、息は熱を帯びていた。弥生は頭の中で、最悪の想像をいくつもしてしまう。壁、薄くないよね？たぶん......そんなくだらない不安が、かえって心拍を速めた。彼女が固まったまま動かないのを見て、瑛介は軽くため息をついた。そして両手をデスクに置き、身を少し傾けて、視線を合わせた。「こっち来て」数秒の沈黙のあと、彼女は小さく首を横に振った。「イヤ」その一言に、彼は一瞬だけ目を細め、それから肩で笑った。「......いつまで逃げるつもりだ？」ゆっくりと、一歩。また一歩。彼の靴音が近づくたびに、弥生も反射的に後ずさる。「まだ傷が......」「傷はもう治った」「そんなわけないでしょ！まだ数日しか」「確かに、会社には行かないって約束した」彼の声が低く沈んだ。「でも、キスしないとは言ってないね」その声が近づくのと同時に、彼の足音が速くなった。「多少傷が残ってても、キスくらいはできる」最後のキスの二文字が吐息に
あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した 第1109話
灼けるような息が目の前で混ざり合った。弥生が反応するより早く、唇が塞がれた。不意のキスに、彼女の体が硬直した。まさか、会社のオフィスで。唇に触れる感触は柔らかく、熱を帯び、彼の深く甘い息が、呼吸の隙間まで侵入してくる。胸の奥まで満たされるような感覚に、弥生は頭が真っ白になった。けれど次の瞬間、我に返った。両手で彼の胸を押して、懸命に距離を取ろうとした。「無理！ここ、オフィスだから......っ」誰かに見られたらと想像しただけで......だから弥生は首をそらして、何度も彼の唇を避けようとした。だが二度目の拒みで、瑛介の動きが止まった。次の瞬間、彼の指が彼女のうなじをしっかりと捕らえた。声は低く掠れ、欲を抑えきれない色を帯びていた。「逃げないでくれ」その目を見上げた瞬間、弥生は息を呑んだ。闇のように深い瞳。吸い込まれそうなほど黒く、熱を孕んでいる。彼の瞳の奥にあるものは、渇きと独占欲まるで自分をすべて飲み込んでしまいそうだった。彼女の白い頬が、一瞬で染まる。あの唇の感触がまだ残っていて、心臓が音を立てるのが自分でもわかる。「万が一......誰か、入ってきたら......」顔を背けたまま、弥生はかすかに声を漏らした。「大丈夫だ」瑛介の声は低く、確信に満ちていた。「......どうして言い切れるの？」「博紀以外、誰も勝手に入らない。それに、博紀だってドアをノックするから」「そうなの？」記憶のない弥生は戸惑いながらも、つい問い返した。「当然だ」彼は静かに答え、まるでこの部屋の主人が自分であるかのような口ぶりだった。そのまま手の力を少し強め、再び顔を寄せてきた。近づいてくる気配に、弥生は反射的に体を傾けた。そして、また空を切った。初めてのキスでは、彼女が驚いて動けなかったおかげで、ほんの一瞬、その甘い味を味わうことができた。しかし今度は違う。彼女ははっきりと拒んだ。もっと触れたいという衝動が、今や胸の奥で燃え広がるようだった。瑛介の目が細くなり、後ろ手の指が彼女の首筋をわずかに押さえた。「......どうしてまた逃げる？」耳まで熱くなった弥生は、声も出せない。彼のかすれた声が、それだけで体を震わせた。「私..
あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した 第1108話
瑛介は腕の中の弥生を見下ろした。彼女は目を細め、頬を彼の胸にすり寄せている。柔らかな髪が揺れて、彼のシャツの上にふわりと落ちた。「久しぶりに仕事したせいかな。ちょっと頭を使いすぎた感じ」その言葉に、瑛介の眉が瞬時に寄った。「頭を使いすぎた？どこか具合が悪いのか？」真剣な声に、弥生は思わず吹き出した。「ただ疲れただけって言ったでしょう。体調が悪いなんて、一言も言ってないでしょ？そんなに焦らなくても」「別に焦ってない」「今のは焦っていないの？」「それはただの確認だ」「そう」素直じゃないね。弥生は内心くすっと笑うと、そっと手を動かした。彼のわき腹あたりを探って、動かずにいたもう一方の手を見つけた。そして、指を絡めた。その瞬間、瑛介の体がわずかにびくりと震えた。彼の掌の温度が、彼女の指先からじんわりと伝わってくる。弥生は顔を上げた。視線がぶつかた。胸の奥が、かすかに鳴った。「ねえ、あとであなたの会社、見に行ってもいい？」彼女の瞳は湖のように澄んでいた。瑛介はしばらく言葉を失い、その光に引き込まれた。「......なんで？」低く掠れた声で言った。腰に回した手に、無意識に力がこもった。指先に伝わる彼女の手のぬくもりが、胸の奥まで広がっていく。だが、先ほどの彼女の「やめよう」という言葉が、まだ胸に引っかかっていた。「さっきやめとくって言ってただろ」「そうよ」弥生はあっさり認めた。「やっぱり、僕なんかどうでもいいんだな」彼の拗ねた声に、弥生は笑いをこらえきれず、目を細めた。「違うわよ。逆に、どうでもよかったら行く気になるでしょ？」「......どういう意味？」「あなた、まだ怪我してるの。今日一日動きっぱなしでしょ？もう帰って休まないと。無理したらまた痛くなる」その言葉に、瑛介の目が一瞬見開かれた。怪我。そういえば、まだ完全には治っていない。「僕の怪我のこと、覚えてたのか？」「忘れるわけないじゃない。あなたが忘れてるだけでしょ？一日一回包帯替えるだけで完治した気になってるんだから」彼女の口調は柔らかいのに、なぜか叱られているようで、瑛介は苦笑するしかなかった。胸の奥に渦巻いていた嫉妬や不安が、すっと溶けていく。代わ
あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した 第1107話
弥生の胸の中には、言葉にできないもやが残っていた。あの頃、いったい何があったのだろう。きっと、簡単な話じゃない。でも、今の彼女にはその「記憶」がまるで霧の向こうのようで、指先ひとつ届かない。唇をかすかに噛みしめて考え込んでいると、「社長？社長？」という博紀の声が、何度も重なって聞こえた。目の前で彼が手を振るのに気づいて、弥生はようやく我に返った。「えっ......なに？」「大丈夫ですか？」彼の眉が心配そうに寄った。最初は、質問をかわされただけだと思っていた。でも、今の彼女の反応は、まるで別のことを考えていたような真剣な表情だった。博紀の感覚は敏感だ。大企業の管理職まで上り詰めた経験から、状況の空気を読む嗅覚は鋭い。博紀はふと、視線をソファの方へと向けた。瑛介は冷ややかな表情のまま黙ってこちらを見ている瑛介。彼の纏う空気は張りつめていた。博紀は一瞬で察した。......なるほど、そういうことか。「社長」と彼は明るい声で口を開いた。「今日は久しぶりの出社ですし、そんなに頑張らなくてもいいですよ。このへんの事務処理なら、僕ひとりで十分回せますから。今日は軽く様子を見て、ゆっくり休まれたらどうです？」「え？」弥生はきょとんとして彼を見つめた。「来たばかりなのに、もう帰るの？」その視線に少し冷や汗をかきつつ、博紀は後頭部をかいた。ちらりとソファを見やると瑛介の険しい表情が、少しやわらいでいる。よし、方向は間違ってない。「ええ。最近お痩せになりましたよね？しばらくお姿が見えなかったのは、体調がすぐれなかったからじゃ？」弥生は言葉を失った。たしかに、以前より痩せたのは否定できない。鏡を見るたびに、自分でもそれを感じていた。彼女が黙ると、博紀は続けた。「だから、無理は禁物です。会社のことなら心配ご無用。何かあれば必ず報告しますし、急ぎでないものは全部僕が処理しておきますから」ここまで言われてしまうと、弥生も反論できない。少し考えたあと、静かに頷いた。「......わかった。じゃあ、今日はそうする」博紀は安堵の笑みを浮かべ、再びソファの方を見やった。そこに座る男の目と一瞬だけ視線が交わった。瑛介の唇がかすかに上がった。機嫌、戻ったな。
あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した 第1106話
「うん」瑛介の返事は短く、そっけなかった。その声の硬さに、弥生は思わず口元を押さえて笑いそうになった。やっぱり、怒ってる。なのに本人は頑なに認めようとしない。弥生がどう説明しようかと考えていると、前方の廊下から足音が駆けてくるのが聞こえた。次の瞬間、角を曲がると大柄な男性の姿が現れた。「社長！」弥生はその声を聞いた瞬間、この人が瑛介の言っていたマネージャーである博紀だとすぐにわかった。博紀はちょうど仕事の合間に社員たちから「社長が戻ってきて、しかも宮崎さんも一緒だ」と聞かされ、慌てて駆けつけたのだった。弥生の姿を見た瞬間、彼の顔にぱっと安堵の色が広がった。最後に会ってから、もうずいぶん経っていた。彼女が突然姿を消したときには、本当に心配したのだ。まるで失踪したかのように連絡が途絶えていたから。だから今こうして、彼女が元気そうに立っているのを見て、ようやく胸のつかえが下りた。彼にとって、この会社は特別な場所だ。どこへ行っても、これほど待遇の良い環境はない。彼女への信頼と、この会社への愛着があったからこそ、ずっとここで踏ん張ってきたのだ。「お久しぶりです。宮崎さんもご一緒だったんですね」博紀は笑顔で挨拶したが、瑛介はまださっきのもやもやを引きずっているからか、表情がちょっと硬い。それでも重要な社員相手とあって、軽く頷きだけは返した。......あ、これは機嫌が悪いな。博紀は空気を察したが、何も言わず、弥生をオフィスへ案内し、業務の話を始めた。弥生は久しぶりの会社ということもあり、最初は何から手をつけていいかわからず戸惑っていた。だが、一度書類に目を通し始めると、自然と真剣な表情に戻り、手が止まらなくなった。一方の瑛介は、彼女の集中を邪魔しないようにと、ソファに腰を下ろして静かに見守っていた。しばらくして、博紀は書類を整理しながら、ちらりとソファの方を見やり、小声で尋ねた。「社長、宮崎さんと一緒にいらしたんですね」弥生はペンを持ったまま顔を上げた。「うん」「それにしても......どうして今まで教えてくれなかったんです？お二人がそういう関係だなんて」「え？」弥生は一瞬言葉を失った。そういう関係？思い出したのは、先ほど瑛介が皆の前で公然
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